金利が下げれば投資が伸びる。そして不況から脱する。おそらく経済学の教科書にはそう書いてあるし、一般に経済記事を読むときの知識として前提となる考え方はみなそうですね。世界の中央銀行、そして今の日銀による積極的な金融緩和はそういった仮説をもって行われてきました。そしてゼロ金利政策という今までにない新しい金利の水準に到達してしまいました。しかしそれにも関わらず、投資が伸びているとはいいがたい状況です。
さて、個人の感覚で住宅ローンを考えると、金利が下がれば確かに総支払金額は下がり、じゃあお得だね、住宅ローンを借りようかというのも不思議ではありません。しかしそれ以外の検討事項、とりもなおさず返済するための原資も考えないといけません。
企業の場合は売上・利益ではなく、純現金収入がこの場合の原資にあたります。厳密にはキャッシュフローという、会計上の利益に含まれる一部を調整して実際の現金収入を計算したものです。
すべての売り上げはすぐに現金払いではなく、また費用の中にはすでに現金で支払った設備の費用を何年にもわたって減価償却という形で費用計上する項目があり、それらを調整するということです。純現金収入の使われる使途は主に1)設備投資、2)配当(と買い戻し)、3)運転資本、4)企業買収でしょうか。
そして、この辺りの実績と予算の方針は、企業のマネジメントチームと投資家が議論してお互いの意見をぶつけたり、その詳細について開示を求めたりするポイントですね。
さて、巨大な金融緩和に比べると設備投資が伸びはじめない、というタイトルの議論に戻ります。先月末に発表された短観で報告されたように、マイナス金利経済の下で 16 年度設備投資計画(含む土地投資額、除く ソフトウェア)は大企業・全産業ベースで前年度比- 0.9%と減少が見込まれています。日銀もECBに倣って貸出を促進するためのプログラムを始めるとの見解も広がっています。
下のチャートは法人企業統計の1960年からの金融を除く全企業のデータをもとに作成したものです。右軸が売上の前年比の伸びで青いライン、左が赤のラインで純現金収入を売上で割った、純現金収入対売上率(現金収入マージン)です。
ご覧の通りブレはあるものの、売上高の伸びのトレンドは半世紀近く下降を続けてきました。また現金収入マージンは同様に下落した後、近年やや盛り返していますが、それが今後上昇トレンドとなるのかをしばらく見極める時期であろうと見えますね。
さて投資を増やすためには、純現金収入が増えることが重要です。また純現金収入を将来増やすためには投資しておかないとそれもかないません。その意味で鶏と卵の関係ではあります。しかし後者(投資しておかないと…)のためには前者(純現金収入が増える)への見通しが欠かせません。そして下のチャートは違った切り口でこの問題を見たものです。
純現金収入が伸びる、すなわち設備投資に前向きになるには売上との関連で見る必要があるということです。不思議でもなくこの二つは関連しています。
特に売上高の伸びが低いかマイナスになっている部分に留意していただくと、売上高が低下した場合に、純現金収入がより大きく落ちる傾向にあることが見えます。これは一定の固定費を越えては急に支出は減らせないからです。
重要なのは、その結果、売上高の伸びが低い場合には、純現金収入の下方への変動のリスクが大きくなる可能性があるために、純現金収入の将来の見通しが加速的に悪化することです。
そしてその結果、売上高の見通しの不確実性が低成長下での設備投資意欲を下げ(または慎重さを加速的に大きくし)、金利が下がろうとも投資が反応しなくなる、ということです。さらに、日本ではこの売上成長率が継続して過去半世紀低下傾向をたどってきました。売上の鈍化した企業や産業が淘汰され縮小し、売上が伸びる新しい企業や産業へと変動し新陳代謝が生まれるよりも、安心安全の下で雇用は長期固定化して変わらないことが、変動のある社会の中で望ましいと考えられてきました。
しかし老子の説いたように水のように変化できる体をもつものが、激変する環境の中でも最も本質的には強いわけです。
(*)さらに金融危機以降の金融行政の強化すなわち不良貸出資産の制御が全世界的に(ごく最近までの中国は除いて)行われていることも、売上の伸びが低い事業が持つ純現金収入の下方リスクを事業の存続にかかわるものとしています。仮に企業が資金的に難しくなった時、銀行は金融危機以降の規制強化のために自らの自己資本に対して保有する企業へのリスク資金が金融リスクが以前に比べて厳しく制限・管理されています。信用が弱い先には積極的に金融を提供できません。それを企業側が見越して設備投資や大きな運転資本といった案件への投資に慎重になっています。リーマンショックのような大きな金融危機のない世界。経済の全体系として動きがつながっていることで、一つの流れを防いで止めると水が違う方向に流れはじめることを世界も学んでいるところなのだと思います。
これらは基本的に日本の事例でみました。世界でも同一ではありませんが、日本と似た性格があります。金融や経済学の教科書には低成長経済と新しい金融秩序下での動きはまだ十分に反映されていませんが、これは金融危機後の低成長経済での加えるべき投資行動の新しい共通する傾向ではないでしょうか。そして別に触れたいのですが、人口動態の長期変動が大きなドライバーだと思っています。
さて、最後にご覧いただくのは、設備投資が現金収入からどれほどの割合で行われていたのかの傾向を見るチャートです。
やや楽観的かつ好意的に考えれば、日銀の金融緩和で経済活動が活発になると期待が膨らみ、それが売上増の確信につながれば、設備投資は増えるかもしれません。しかし実際にそれが確認されてからでないと、低い売上増の環境では、設備投資は伸びません。
また、これはより重要なことですが、設備投資された事業からキチンと純現金収入が生まれなければ設備投資など持続できません。
あくまで事業として付加価値があり、それにコストを上回る対価を継続して払われて初めて、資産は健全な“生きた”ものでいられます。さもなくば、あの不良債権を作ったころに舞い戻ってしまいます。いい質の投資が売り上げ増を呼び、そしてそれがさらに投資への先導役となるサイクルが、企業と政府に求められる生きた資産を作るための投資です。つまり、生きた資産はそれ自体が、また新たな生きた資産への投資を産む強いエコシステムという循環系を持っています。
ゼロ未満金利という未曽有の金融政策の延長線上にある現在、ここまでご覧いただいたように金融政策だけではできることに限りがあります。そして、日銀が継続して行っている巨額の資産購入は無限には続けられるものではありませんが、しかし今中断すれば、その先のリスクを呼び寄せかねません。金融政策では黒田総裁の任期後の体制が議論されるまでは、已む無く大きな変化はつけにくい、現実的選択肢の限られた状況ではないでしょうか。
このように企業側での動きからの投資の活発化が構造的に難しい状況で、国の財政政策に期待がかかりつつある流れになるのも、ある意味不可避の流れではあります。
しかし、国の投資こそ最も低いROIの代表例です。
行政サービスを統合・簡素化するための合理化投資などは良いでしょうが、そもそも行政に執行プロセスの厳密なコスト管理と改善などできるリーダーシップはないですし、それを期待する根拠を見つけることは不可能です。
“大きな政府・自治体”という大きな構図だけでなく、組織やプロセスのマイクロマネジメントが評価されるには、公共セクターで原価と運営費用の会計データがなければ、対処にする数値が計測できません。
あまりに根本的過ぎて、政治的に到底きっかけすら見えるとはいいがたいように見受けられます。